古代の人々は太陽を崇め、光で癒していた…

“精神性も含めて、すべての存在は一体である”ことや、
“物質は想念が生み出したものである”といった
古代人にはあった当たり前の感覚を
現代を生きる私たちは失っているのではないでしょうか。
自他という分断を信じたために生じた孤立の感覚
そこからの比較競争意識に翻弄されて…

クォンタムヒーリングライトの癒しの光は
古代の生き方を思い出させ
心身の浄化へと働きかけてくれるかのようです。

古代ムー文明では霊性が重んじられており、
そこは、エデンと表現されていました。
大自然と一体であったエデンの人々は、癒しの力として
光・音・水・石・植物からの恩恵を受け、暮らしていたのです。

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もしかすると、クォンタムヒーリングライトは
古代にも存在していたのかもしれない…
いや、そうとしか思えない!
そのように想像できるものが
古代エジプトの壁画に描かれていました。

デンデラの電球

それは、紀元前1世紀ごろに彫られたとみられる「デンデラの電球」。
エジプトの町デンデラのハトホル神殿にある石造りのレリーフにあったモチーフです。
英国の科学者アイバン・サンダーソン(1911~73年)は「これは照明電球だ」と指摘し、
古代人は電球を発明していたという説が「デンデラの電球」として有名に。
神殿の地下室がススで汚れていないのは、火などを使わずに「電気を使っていたからだ」というものです。

諸説あるものの、クォンタムヒーリングライトを見慣れている私たちには、
この電球の下で人々が、光の恩恵を授かっていたように思えてなりません。

古代文明には、実は高度な科学技術が発達していたこと、
古代の叡智と現代の最先端の量子力学的知識には多くの共通点があることを指摘する学者もいます。
すべてがつながる一体の世界であることを知覚し、
隔たり感の極めて薄い文明を築いていたエデンの人々は、
人類は単なる物質存在ではなく、宇宙を創造する意識存在でもあることを自覚していたことでしょう。
ですから、自らを整え癒すことは、同時に世界をも癒すことであったのです。
光には癒しの力があることを体感し享受していた古代人にとって、光そのものは、
宇宙の真理のあらわれのひとつとして崇める対象であったのかもしれません。
感謝し崇める心のありようは、さらに癒し効果を高めます。
現代に生きる私たちも、お部屋にクォンタムヒーリングライトを灯すことで
世界に癒しの波動が広がることを願って止みません。



今、縄文と呼ばれている、何万年も続く平和な国が、
なぜ、ひとつも争いがなかったのかが、現代の分かたれた自我文明の人々に、
あまりに不思議であると疑問視されている。
それは、彼らこそ、ラームーの築いたエデンの名残であり、
一体性に深く気づいた価値観を持った文化文明の民の創る楽園であったからだ。
古代の民は、神秘、未知、永遠、量子、霊的世界という、
万物すべての、一体性の中を生きた。
現在の分かたれ分子、分離自我世界とは、
全く価値観の違う世界であったからだ。
今の誤った自我世界の価値観で、
半霊半物質のエデンを理解、研究することは無理である。
彼らには量子の世界の中、死もなく、分かたれの価値観もなく、
すべてはとわに一体で、
未知で神秘な美しき楽園であったのだから…。


MARTH